団長挨拶

本総部のホームページをご覧頂き、誠にありがとうございます。
応援団総部第71代団長を務めます小佐井一貴(コサイカズキ)と申します。
この一年間、何卒宜しくお願い申し上げます。
さて、第71代の団目標は「繋」(つなぐ)と掲げさせて頂きました。
1.指導部・吹奏楽部・チアリーダー部、これら3部の気持ちを繋ぐ
2.関学体育会や地域の方々など、様々な人との気持ちを繋ぐ
3.伝統を繋ぐ
以上、様々な意味が込められております。これらの中でも特に重視しているのは、3部の気持ちを繋ぐことです。
近年、関学体育会は関西におさまらず、全国で活躍する部がいるなど、めまぐるしい活躍を見せております。これらの体育会を応援するにふさわしい応援団を我々は作っていかなければなりません。
そのためにも、もう1度基本に戻り、応援団総部が一致団結し、最高の応援ができるように努めなければなりません。私は団長として、そのような考えに至りました。
関西学院大学応援団総部は、旧来より受け継いだ伝統を残しつつ、これからも新しい伝統を作ってまいります。

 


 

第七十一代団幹部紹介

   

団長

小佐井一貴

 

副団長兼指導部長

小西智之

 
副団長 荒木奈央  
副団長 山口真由  

総務部長 兼 

関西四私立大学応援団連盟委員長

柏原隆佑   
経理部長 尾崎聡香  
広報部長 大能ひかる  
 吹奏楽部長

布施恵里子

 
チアリーダー部長

水谷菜穂子

 

応援団総部沿革

 

 我々応援団総部は1946年、「建学の精神を体し、自治の精神に則り、学徒の思想・情操・風紀・運動・文化等多面的な分野において後援し、学院の先駆足らんこと」 を目的としてわずかの有志で発足した。確かに戦前にも存在しており相撲大会における応援団コンテストで1938年には優勝し、戦時中は「報国団推進班」として存在した。
 戦後の関学体育会の目覚しい発展の陰で応援団も飛躍することになる。その中で1948年に、応援歌「弦月」(現逍遥歌「弦月高く」)が発表された。その後1954年にはブラスバンド部の設立を請願、設立に至った。それに伴い作成されたのが、応援歌「新月旗の下に」である。
 充実期に入った1956年には総務部・リーダー部・ブラスバンド部の総部体制が確立。1962年には吹奏楽部が第10回全日本コンクールで初優勝を果たす。1966年には神戸女学院の手解きを受けたバトントワリングが正式加入し、現在の応援団総部の体制を確立し新しく動き出したのである。
 1967年学費値上げ反対運動から学生紛争が勃発。翌年、学院本部を占拠した学生から学長、院長を救出しようとした応援団総部リーダー部との間に乱闘騒動が起こり、学生集会においてリーダー部解散要求が決議された。しかし1969年には現在の応援団総部指導部と名称を変更し活動を再開した。
 一方、吹奏楽部は海外遠征にも数多く出かけるなど黄金期を迎えていた。以後関西吹奏楽コンクール、全日本吹奏楽コンクールで輝かしい成績を収めた。バトントワリング部もアメリカ遠征を行い、以後チアリーダー部と名称を変更することになった。「ドルフィンズ」と名乗り始めたのは91年のことである。90年代には応援形態を飛躍的に発展させ、今も時代の流れに乗った応援方法を常に模索し続けている。
 現在我々は指導部、吹奏楽部、チアリーダー部合わせて総勢130名以上の部員数を誇り、体育会、文化総部と並ぶ大学屈指の公認団体に発展した。
 我々関学応援団総部は硬式野球部、アメリカンフットボール部、ラクロス、アイスホッケー、陸上ホッケーをはじめとする体育会の応援は当然のことながら、総合関関戦前夜祭、関関同立応援団で競い合う連盟祭、
学祭において開かれる大舞台総部祭をはじめ様々なデモンストレーションを行い学風の振興に寄与している。
また入学式、卒業式、キリスト教に関係する学院行事にほぼ全て参加し「Mastery for Service」の精神を体現している。さらに学内問題の解決に取り組み関学を一層より良いものにするため尽力している。
 その他の活動として、企業からの依頼、他大学との交流を含め活動の幅は広く、団員一人一人が確かな自覚と責任の下に日々邁進している。